青森地方裁判所弘前支部 昭和36年(タ)6号 判決 1963年6月27日
原告 須田昌子(仮名)
右法定代理人親権者母 永井マリ(仮名)
被告 大谷良男(仮名)
主文
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告法定代理人永井マリの負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告を認知する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
(一) 原告の母(原告法定代理人)永井マリは、大正一四年に訴外須田太郎と内縁関係を結び、以後、右関係を継続し、更に昭和一〇年九月二五日、右訴外人と法律上の婚姻をなしたが、昭和一五年一〇月頃に至つて右婚姻関係を事実上解消し、以後右訴外人と別居し、昭和三四年九月一〇日に正式に離婚したものである。
(二) 右永井マリは右太郎と別居中の昭和一六年五月頃、被告と知り合い、まもなく青森市大字新蜆具町山中市郎方二階において被告と内縁関係を結ぶに至り、その後昭和一七年春頃から同女は同市大字浦町字野脇○○番地中村イノ方において「○○○」洋裁店を経営するようになつたが、依然として被告との内縁関係を継続し、被告は右各借家の賃料を負担していた。
(三) 右内縁関係の継続中である昭和二〇年三月、永井マリは被告の子を懐胎し、同年一一月九日青森市内において原告を分娩したが、その間被告はしばしば懐妊中のマリを見舞い、又出産の費用の一部を負担した。
(四) 原告出生後、マリは被告と相談のうえ、原告を当初訴外林マミに、後に黒石市在住の訴外山本喜八、同たつ夫婦に預け、同夫婦の子として出生届をなさしめたが、昭和二一年三月頃、右山本たつが原告を伴つて当時マリが居住していた青森県東津軽郡浜館村字松森、木原次郎方を訪れた際、居合せた被告は右たつに対し、よく原告を育ててくれたと礼を言い、若干の金員を与え、原告を抱いて愛撫した。同年九月、被告はマリを青森市大字寺町○○番地所在の被告所有家屋に居住せしめ、以後約六年間同棲し、その間原告は毎月二回位右山本たつ等に伴われて右被告方を訪れ、被告も自分の子として原告を愛撫し、ことに昭和二七年春に前記山本喜八が原告を伴つて訪れた際には原告に小学校入学の仕度金を与えた。又、被告及びマリが右山本方に原告を訪ねたこともあつた。
(五) その後、永井マリと被告とは昭和二七年秋に一旦同棲生活を打切り、まもなく再度同棲を始めたが、昭和三〇年一一月に内縁関係を解消した。
(六) 以上のとおりであるから、原告は被告との間に父子関係を成立せしめるため本訴に及んだ、
と陳述し、被告の本案前の主張に対し、
被告主張事実中、本件訴提起当時原告本人が意思能力を有したこと、右訴提起が原告本人の意思に反してなさたこと及び原告法定代理人の親権濫用に関する点はいずれも否認する、子が未成年者であるときは、その法定代理人は子の意思能力の有無にかかわりなく子を代理して認知の訴を提起し得るものと解すべきであり、まして本件訴提起当時は原告本人はまだ意思能力を有しなかつたから、その後に意思能力を有するに至つたとしても、これにより右訴提起が適法性を失ういわれはない、
と述べた。
被告訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を、本案について、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案前の主張として、
(イ) 個人の人格尊重を旨とする現憲法下においては、法定代理人が子を代理して民法第七八七条により認知の訴を提起できるのは、子が意思無能力者である場合に限られ、子が未成年者であつても意思能力を有するときは、法定代理人はかかる訴訟追行の権限を有しないものと解すべきところ、原告は本件訴提起当時満一五歳五箇月に達しており意思能力を有していたのであるから、原告の母永井マリが法定代理人としてなした本件訴の提起は代理権を欠き不適法である。
(ロ) 仮に、原告本人が意思能力を有するときもなお、親権者が原告を代理して認知の訴を起し得るとしても、認知請求のごとき身分上の行為については本人の意思を尊重すべきこと当然である。ところが原告親権者永井マリは、原告を出産後まもなく訴外山本喜八夫婦に預け、同夫婦の嫡出子として出生届をなさしめて、いわば親としての権利も義務も放棄し、以来一五年もの間、何ら原告を養育監護することなく、これを捨ててかえりみなかつたにもかかわらず、右のごとき長年月を経た後に、右山本夫婦の膝下にあつた原告の家庭における平穏と幸福を敢えて破壊してまでも、ことさらに真実の母子関係を暴露し、自己が原告の親権者となつたうえで原告の意思に反して本件訴を提起したのである。右は永井マリが認知請求に名を借りてかつて情交関係のあつた被告に対し言いがかりをつけ、これを困惑させて金品を利得しようと企てたもので、かように自己の利欲のために原告本人の幸福を犠牲に供せんとする不純醜悪な行為は、形式的には親権の行使であるが、認知請求本来の目的を甚しく逸脱し道義観念に反するものであるから、親権の濫用ないし公の秩序善良の風俗に反する行為というべきである。
従つて本件訴の提起は不適法である。
以上本件訴は却下せらるべきであると陳述し、請求原因に対する答弁として、
原告主張事実中、
(一) については、永井マリと須田太郎とが原告主張の時期に婚姻関係を事実上解消したことは否認するが、その余は認める。右両名は戦後に至るまで夫婦として同居を続けていたものである。
(二) については、原告主張の頃、永井マリと被告が知り合い、情交を結んだこと、山中市郎方二階において情交をなしたことがあること、マリが「○○○」洋裁店を経営したことは認めるが、その余は否認する。被告は右洋裁店当時は一時マリと手を切つていた。
(三) については、原告主張の頃、マリが懐胎したことは知らない。原告主張の頃同女が原告を分娩したことは認め、その余は否認する。被告は右出産に際し若干の見舞金を同女に与えたのみである。又、同女は原告主張の懐胎当時は未だ夫須田太郎と同居していたばかりでなく、被告のほかに数人の男と情交があり、しかも被告は同女と情交をなす際は常に避妊具を用いていたから、同女が被告の子を懐胎する筈はない。
(四) については、原告主張の頃永井マリが木原次郎方に居住していたこと、被告がその後マリを被告所有の家屋に居住せしめたこと、昭和二七年春、原告がマリ方を訪れた際に被告が若干の金員を与えたこと、被告がマリと共に山本喜八方を訪ねたことは、いずれも認める。マリが原告を林マミ及び山本喜八夫婦に預け、同夫婦の子として出生届をさせたことは知らない。その余の事実は否認する。マリが被告所有の家屋に居住したのは被告から右家屋を賃借したに過ぎず、被告と同居したのではない。又、右原告に与えた金員は被告がマリに対する義理から与えた入学祝に過ぎず、被告が山本喜八方を訪れたのも、マリが原告を訪ねるのにたまたま被告も同行したにとどまる。
(五) については、被告とマリが一旦情交関係を打切つた時期の点を除き、原告主張事実を認める。右の時期は昭和二五年である、と述べた。
立証として、
原告訴訟代理人は、甲第一ないし第三号証、第四、五号証の各一、二、第六ないし第一〇号証を提出し、証人中村イノ(第一、二回)、同山本ヒサ、同萩村芳男、同須田太郎、同杉井細治、同山本喜八、原告法定代理人永井マリ及び原告本人の各尋問を求め、乙第四号証中、須田太郎作成名義部分の成立を否認し、その余の部分の成立を認める、同第一二号証の成立は不知、その余の乙号各証はいずれもその成立を認める、なお、乙第四号証の須田太郎名下の印影は、原告法定代理人永井マリが太郎に無断で被告に貸した右太郎の印章によつて顕出されたものである、と述べた。
被告訴訟代理人は、乙第一ないし第一三号証を提出し、証人山本たつ及び被告本人(第一、二回)の各尋問を求め、甲第八、九号証の成立は不知、その余の甲号各証はいずれもその成立を認める、と述べた。
理由
まず、被告の本案前の主張の当否、即ち原告法定代理人たる永井マリが原告を代理してなした本件訴の提起の適法性について考える。
子の法定代理人が身分上の行為たる認知請求権の行使をなすについても子を代理する権限を有することは、民法第七八七条の定めるところである。そうして、認知請求権を実質的に保障する見地からして、右の代理権は子に意思能力が具わつている場合にも消滅しないと解するのが相当である。
しかし、本来このような身分上の行為は、その性質上、本人の意思に基づいてなされるべきものであり、人事訴訟手続法第三条、第三二条が意思能力ある限り無能力者に対しても認知訴訟における訴訟能力を認めているのも、かかる趣旨に出たものと解される。従つて、法定代理人が前記民法の規定に基づき子に代つて認知の訴を起す場合にも、それは、子の意思と甚しく背馳してはならない。又、このように身分上の行為につき法が特に代理を認めているのは、子の利益を保護するためであるから、右代理権はこの法の趣旨に副うて行使されることを要する。
ひるがえつて本件について見るに、その方式及び趣旨により真正な公文書と推定される甲第一号証及び証人山本たつの証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は昭和二〇年一一月九日生れであり、且つ少くとも年齢に相応した普通程度の知能は具えていることが認められるから、これら事実に徴すれば本件訴が提起されたことが本件記録上明らかな昭和三六年四月二二日当時、原告はすでに意思能力を有していたものと認めるのを相当とし、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
いずれもその方式及び趣旨により真正の公文書と推定される甲第一、二号証、同第四、五号証の各二、同第六号証、原告法定代理人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第二号証並びに証人山本喜八、同杉井細治、同山本たつの各証言、原告本人、原告法定代理人及び被告本人(第一回)の各尋問の結果を綜合すると、(一)原告の母(原告法定代理人)永井マリと被告とは、昭和一六年頃から、一時的な断絶はあつたにせよ、ほぼ継続して情交関係を結び、昭和三〇年七月頃に最終的に右関係を解消したが、右両者間にはマリが現在居住している青森市大字造道字浪打○○○番地所在の家屋の所有権の帰属をめぐつて現に紛争があること、(二)右永井マリは、原告代理人として本件認知請求をなすことにより、被告を困惑せしめ、被告において敗訴による原告との間の父子関係の成立を避けたければ前認家屋に対するマリの所有権を承認するであろうと期待しており、要するに本件訴の提起を自己の財産上の紛争を有利に解決する手段として利用する考えであること、(三)右マリは原告出産後まもなく訴外山本喜八、同たつ夫婦に対し、原告を同夫婦の子として養育してくれるよう依頼して預け、同夫婦は原告を実子として出生届をなしたうえ養育し、原告自身も中学校入学の頃までは自らを同夫婦の実子と信じて生育し、現在も同夫婦の家庭で実質上同夫婦の子も同様に暮しており、且つそのような生活を続けることを望んでいること、(四)右マリは、右山本夫婦に原告を預けて以来、自ら原告を扶養監護したことがないばかりか、原告に対し特に母としての愛情を示したこともないこと、(五)右マリは、本件訴訟に先立ち昭和三四年に前記山本夫婦及び原告に対し親子関係不存在確認の訴を起し、原告が右夫婦の子でないことを確認する旨の判決を得たが、右訴提起については右山本たつがマリに対し原告のためにせめて原告の高等学校卒業まで待つてくれるよう懇願したにもかかわらずマリはこれを聴き容れなかつたもので、右判決の結果、原告の姓が岡本から須郷に変つたことが、原告が高等学校進学を断念する一因となつたこと、(六)右マリは本件訴を提起するに際して本人たる原告に対しては全くこれを秘匿していたので、原告は当初から被告に対し認知を請求する意思は全然無く、むしろ被告を父とすることを嫌つていること、以上の各事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、原告の親権者たる永井マリが原告を代理してなした本件訴の提起は、原告自身の意思に甚しく反し、且つ原告、被告間の親子関係の形成よりも右永井マリの財産上の利得を目的とし、その手段としてなされたもので、子たる原告の利益のためになされたものとは到底言い難い。このような親権の行使は、親権者に認知請求に関する代理権を認めた前記民法の規定の趣旨に著るしく違背するから親権の濫用と解すべく、従つて右訴提起は不適法として却下を免れないものと解すべきである。
よつて、その余の点につき判断するまでもなく本件訴はこれを却下すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九九条、第九八条第二項を準用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上武 裁判官 鹿山春男 裁判官 加茂紀久男)